2023年7月国立劇場「歌舞伎鑑賞教室」劇評

2023年8月6日

このページでは、2023年7月国立劇場「歌舞伎鑑賞教室」の劇評(感想文)を執筆しました。

2023年7月国立劇場「歌舞伎鑑賞教室」

国立劇場「歌舞伎鑑賞教室」は、国立劇場での本公演を終えた後、毎年6月は静岡公演、7月は神奈川公演を2日ずつ行うのが通例である。
筆者は間口がコンパクトな設えが好みなのと、比較的座席に余裕があるので、神奈川公演を観劇することが多い。

解説 歌舞伎のみかた

照明で再発見する引窓の魅力

担当は澤村宗之助。例年同様、定式幕や花道、竹本と黒御簾の役割、ツケ打ちや見得、タテなどを明朗にテンポ良く紹介していく。
今回のクスグリは7月の猛暑を背景に「アイスが食べたい」。

鑑賞教室が主なターゲットにしている中学・高校の生徒に年齢が近い若手を起用する近年の傾向とは異なり、宗之助という51歳のベテランを起用した。
本編を見渡してみても、中堅以上の手堅い配役で、若手は主要な役に見当たらない。

現在の国立劇場が開館した翌年(1967年)に始まった「歌舞伎鑑賞教室」。
日本俳優協会のデータベースを検索すると、初回は32歳の片岡我當が解説を担当し、
先日亡くなった市川左團次が27歳で「国性爺合戦」(半通し)の和藤内後に延平王国性爺を勤めている。
思ったより若手が務めていたと感じると同時に、演目が重たくて驚いた。

今回の歌舞伎鑑賞教室は「初代国立劇場さよなら公演」と銘打って、現在の国立劇場の建物では最後の鑑賞教室となることをアピールしている。
解説の内容こそ観客に寄り添った近年の内容にアップデートされているが、演目の選定や配役などはあえてクラシックな内容を心がけたのかもしれない。

本公演の解説で優れている点は、舞台照明を駆使して「引窓」の舞台の本来の暗さと月明かりを再現してみせたところ。
現行演出では多くの歌舞伎の演目と同様に明るくして見せているが、優れた照明技術と舞台装置のおかげで江戸時代の夜の暗さと満月の明るさ、
そして引窓の機構がどのように活用されているかを体感させてくれた。歌舞伎のリピーターであっても、大きな気づきが得られたのではないだろうか。

双蝶々曲輪日記 ~引窓~

次代につなげ、温かな人情物語

竹田出雲・三好松洛・並木千柳作の人形浄瑠璃を歌舞伎に移し、繰り返し演じられているもの。
現在ではこの「引窓」と「角力場」が頻繁に上演される。

濡髪長五郎(中村錦之助)が八幡の里(現在の京都府八幡市)にある実家を訪ねる。
実母・お幸(中村梅花)とは幼いときに養子に出した我が子との再会を喜び、姑のお早(市川高麗蔵)も同調するが、濡髪はつれない顔で二階の座敷に上がる。
実は、濡髪は訳あって人を殺めてしまい、追われる身。

そこへ、お早の夫・南与兵衛(中村芝翫)が武士の平岡丹平(中村松江)、三原伝造(坂東彦三郎)とともに立派な侍姿で現れる。
父の郷代官の地位を許され、名も南方十字兵衛と名乗ることを許されたという。その初仕事は、なんと濡髪を召し捕ることだった。
親子の絆、兄弟の情け、仕事と家庭の板挟みという現代にも通じる普遍的なドラマが描かれていく。

芝翫の南与兵衛・南方十次兵衛は愛嬌があって無難に務めているが、本人の柄によるものか武張ったところが強い。
郷代官の家で育ったとはいえ、長年町人暮らしであったのだから、もう少し町人らしさを見せるべきだろう。
平岡や三原とともに出てくるところからして既に一人前の風格が漂ってしまっている。両者との区別のためにも柔らかさがほしい。
家に上がってからも士分に取り立てられたことの喜び、郷代官としての役目と義兄弟という義理の間の逡巡は充分でなく、一通りの芝居になってしまっている。
とくに「両腰差せば南方十次兵衛、丸腰なれば今まで通りの南与兵衛」の演じ分けは見せ場であって、もっと明確であるべきだろう。

錦之助の濡髪長五郎は本人の柄に似合わない役だが、持ち前の演技力で形を整えている。
同月上演だった歌舞伎座「め組の喧嘩」の右團次や男女蔵と比べるとやはり線の細さは否めないが、濡髪の大きさと情感は水準以上に表現できている。
ただ、時々上方言葉や角力言葉が抜け落ちてしまい、現実に引き戻されてしまう場面があるのが惜しいところ。
高麗蔵のお早は廓から身請けされた色気が出ていて、廓言葉も愛らしい。妻としての心配り、所作も繊細だ。
梅花のお幸は情感豊かで、いかにも老女の風情がある。長五郎との再会を喜ぶところ、十次兵衛の任務を知る驚き、長五郎の髪を剃る悲しみなど、豊かな表現力に溢れている。
松江の平岡丹平と彦三郎の三原伝造はいずれも手慣れたもので、敵役に近い武士の役どころを短い時間で憎らしく表現している。

全体として、調和のとれた温かみのある芝居に仕上がっていた。
芝翫の役の演じ分けが際立っていればもっとメリハリのある出来になっていただろうが、
これが歌舞伎の標準的な品質と学生たちに教えても差し支えのない出来映えだと思う。

現在の国立劇場が2023年10月末で閉館することに伴い、来年(2024年)6月の歌舞伎鑑賞教室は
荒川区民会館「サンパール荒川」で開催されることが配布プログラムの中で発表されている。
これまでの静岡公演・神奈川公演の実施は、歌舞伎鑑賞教室の地方公共団体との提携もあるだろうが、
歌舞伎を主催公演する団体として国立劇場自身が「巡業」を自前で行える体制を整える、という目的もあっただろうと思われる。
新たな国立劇場が開場する予定の2029年度までは、国立劇場は貸劇場を渡り歩く「流浪の身」となるが、
その際には静岡・神奈川公演で蓄積したノウハウが投入されるものと期待している。


2023年7月26日(水)14:30開演の回を、神奈川県立青少年ホール(紅葉坂ホール)前方下手側席にて観劇。
本劇場ではないが、大向こうさんが1名確認できた。最終盤の長五郎と与兵衛が手を合わせるところで「ご両人」の声がかかったが、「ご両所」のほうがいいと思う。

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